2012年1月4日水曜日

藤森慎吾の苦悩


去年は「チャラ男」で再び脚光を浴びたオリエンタルラジオの藤森慎吾。けれども、最近はそのチャラ男を捨てたいが捨てられない状況に戸惑っているよ うだ。金スマでも復活劇を特集され、感動を読んだのだが、それに反比例するように、「実は真面目な人」であることを関係者、芸人仲間から暴露され、いささ かやり難い状況も生み出しており、ただキャラを守っていればよいだけでは済まなくなっている。

芸能界で一度ブレイクして落ちた芸人の再ブレイクはほとんどない。有吉弘行が代表的だが、再ブレイクするには、過去の栄光が忘れていくのと同時にそれとは異なる絶対的フィールド、空気を作れるようにならないといけない。言い換えれば『キャラ付け』だ。

藤 森慎吾も同じような戦略をとった。オリラジ時代の雰囲気とは全く異なる世界へ身を投じキャラを作り上げたが、すでに有吉弘行がその流れを作ってしまってい たので、彼が売れていく過程で知りたかった検証を藤森で確認しているのがスタッフ側・視聴者が見たい所だろう。そこの対策がうまくできておらず、自分の流 れに持っていけないのが色々な葛藤を渦巻かせている原因だと思う。

同じような状況は有吉にもあった。「あだ名」を特 に目立った特長がない人間に対し、常に笑いという正解が出し続けるのは厳しい。それでも彼は約3年は続けた。正確には2年は頑張り、最後の一年は色を変え ていった。あだ名を評価芸へとシフトさせた。これなら、レギュラー番組でも対応できる。あだ名は日本刀のように一太刀で切り裂く勢いと力強さがある。一回 の発言で決まってしまう恐ろしさも孕んでいる。そんな物を毎回出し続けるにはかなりの精神力・注意力が必要である。評価芸ならあだ名よりもまだ楽で、その 時の感想を言っていればいいので、神経をすり減らす必要はあだ名ほどない。もちろん、『センス』という絶対的なところがある人間にしかできないのは前提で ある。

「チャラ男」で認知されてしまった以上、藤森慎吾はその世界から逃げてはいけない。ニュートラルに戻さないと仕事をこなしていけないことに気づいた以上、そこから新たな芸を生み出すしかない。

テ レビでは資格を取ろうと考えているようだが、戦略としては間違っていないと思う。明治大学出身だから、バカではないと思う。ただ、チャラ男を捨ててはいけ ない。むしろどう受け入れるかが重要である。少なくともチャラ男いうキャラは成功した。モデル系のチャラいタレントとは核が違うことは見せつけることがで きたのだから。でも人気が落ちた時に、手探りでも向き合ったキャラには本人自身のキャラと何か通じている。対人関係が悪くなり、自暴自棄、人間不信な中で も進むことができた「光」が藤森慎吾にとっては「チャラ男」だったのではないかと思う。それはそれで受け入れないと、彼自身の成長はないと思う。

一 度ロードマップができてしまうと、何かと周りは眼を見張る。人気ある芸人ほど常に見張られている。そのような場でも笑わせることができれば「本物の芸人」 となることができる。ビートたけしや明石家さんまなど、何十年もその視線と戦いながらも笑わせるには尋常以上の人間的「器」や「人生」を謳歌している。

今 20代で戦える芸人はほとんどいない。はんにゃやフルポン、狩野英孝は周りが活かしてくれたことの方が大きい。オリラジは彼らより自分の力で笑いを提供し ている。彼らがここで終わると芸人の世代間の笑いに穴が開いてしまう。開いてしまうとなると、その時代を語る芸人がいないことになる。数十年経った時に振 りかえることができないとなると、その時代の人間が「死んだ状態」になる。たかだか芸人の一悩みだが、結構大事になるかもしれない。

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