2011年12月7日水曜日

企画を理解できなかった菜々緒の「ギリギリ007」


クリスマスでもないのにクリスマススペシャルを行った『しゃべくり007』。フジテレビとの視聴率勝負のために、平場の日程でねじ込んだとも思われるが、菜々緒の「ギリギリ007」は反響を呼んだ。2chやTwitterで荒れた。ピー音が誰なのか憶測が飛ぶのは当たり前だが、不快に感じた視聴者が多く見られた。

事務所側としては来年を見越して、 菜々緒をバラエティで売りたいと思っているのだろう。グラビアではAKB48には勝てないし、時代がグラビアよりモデルの方が価値があるといっても、モデルは写真一発の世界なので、動画だとどうしてもアラが見えやすい。CanCamの蛯原友里や押切もえが当時の人気とは思えない扱いになっているのがその証拠だ。動画だと写真のような綺麗さ、カリスマ性は出せない。

そういう中でも最近は佐々木希が『笑っていいとも』のレギュラーを行なっていたが、バラエティの立ち回りをうまくこなせなかった。コメント力もないし、補うだけの知識・教養が見えてこない。

どんなに美人であっても人は飽きるものだ。 「美人は三日で飽きる」という言葉があるように。佐々木希の事務所側としては、女優を次の狙いに定めているようだが、演技の場数が少ないので非常に困難だろう。天性の才能があれば別だが。

おそらく、来年のポスト佐々木希は菜々緒で決まりだろう。佐々木希に近い雰囲気を持った顔と、股下85cmの容姿は、モデルチェンジするには丁度いいタレントだ。「ギリギリ007」はタレントとしてインパクトを残すには打ってつけの企画だ。

オリラジの藤森慎吾が自身のチャラいキャラを押し上げることに成功したのはこの企画だし、菜々緒自身も24時間テレビでゆるいプライベートを暴露していた。あれが好評だったのだろう。事務所としてもあと一歩、踏み込んでも大丈夫と思ったろうし、藤森の成功例を見ていれば出演させて損はないと判断したのだろう。

でも「ギリギリ007」の対応はまずかった。あれは、ギリギリセーフとアウトの境界線で揺れ動く心情を映すから面白いのだ。

今年、藤森慎吾は「ギリギリ007」でお手本のような芸をした。他事務所を巻き込む暴露話をすれば芸能界から干されるかもしれない、という緊迫感と、番組に出演した以上、企画を成立させて人を笑わせなければならない、という芸人魂の狭間で心が蠢き、その醜態が顔に表れていた。

そして笑いに笑えた。しゃべくりメンバーが笑い転げていた。視聴者も同じだろう。あそこまでもっていかれると、ややこしい、面倒な話は吹っ飛んでしまう。面白ければ何でもいいのかと言われるかもしれないが、お笑い芸人はそれが仕事である。酷な話、相手のタレントには悪いが、笑わせることができた藤森慎吾の方が一枚上手なのだ。

菜々緒の場合は、すんなり答えてしまった。やってはいけない企画なのに、淡々と言ってしまった。少し恥じらいはあったが、理性を超えた恥じらいでなければならない。「ギリギリ007」はそういう企画なのだ。あれではただの爆弾娘だ。しゃべくりメンバーも、気づいていたのか、「この子は男っぽい性格だから」、「こういう子だから」、「よくやった」と無理にフォローを行なっていた感がある。

番組側にも落ち度はある。もう少し彼女に時間を割いてあげないといけなかった。「ギリギリ007」への流れも早すぎた。もう少し彼女の性格が見える時間が欲しかった。男っぽい性格が最初見えなかった。清楚さが強かった。

この一件だけで消えることはないだろう。まだ菜々緒自身、バラエティタレントとは認知されてないからこれからのバラエティを一個ずつ仕留めていけば挽回できると思う。あとは彼女がどう立ち回っていくかだ。

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