2011年11月9日水曜日

松本人志のコント『MHK』の目指すものとは

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視聴率2.3%をどう捉えるか。賛否両論がある松本人志のコント『MHK』。ネット上では、ごっつ世代とも言われる『ダウンタウンのごっつええ感じ』を見ていた30代にはウケていたようである。あれを最後に地上波でのレギュラーコント番組から降りていたため、どういう流れになるのか見ものであったが、予想以上に食いつく視聴者すらいなかった。それでも食いついたとすれば今後視聴率が上がることはないだろう。

世代間での笑いが異なるのは明白だ。ダウンタウンの後には、『めちゃイケ』で支持を伸ばしたナインティナインが作る『テレビ芸』。運動神経抜群の岡村隆史の動きを使った芸はわかりやすい。それを支えた片岡飛鳥、さらにはカメラマンの辻稔による裏方からの笑いの作り方。世代間の価値観が多様化していく流れに彼らはマッチした。

面白いかどうかは関係ない。ただ時代に合ってれば笑えるのだ。そこに技術は関係ない。

芸人は各々にしてタイプが異なる。漫才が好むものもいればコントを好むように。それぞれがその中で最高の作品を作ろうとしている。どうしてもお笑いは大衆演劇であるがゆえに笑えなくなればおしまいとみなしてしまう。

だが、一方で文化とみなすなら、それはそれで解釈が変わる。文学作品のごとく、非常に難解な言葉をあやつり、複雑な構文をなしているにもかかわらず、後世に語り続けられていくものもある。音楽にしても、時代に影響されずに残る作品は「楽典」として、クラシックとして続いていく。

お笑いにしても、文学、音楽も元は大衆芸能である。なぜか極めていくと複雑になっていき理解しがたいものはあるが、世の中も突き詰めていけば多くの変数に満ち溢れ、法則化するのが困難であることを考えると大した差はない。

そして研究し続けたものにしかわからない世界がある。E=mc^2という公式が存在する。これがどれほどすごいものかはその世界に浸った人間にしか理解できない。場は異なれど、お笑いにも物理学のような世界観があるのだろう。追い求めて、そして見てきた松本人志なりの今の答えが。



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