2011年10月17日月曜日

単なる大喜利を演出で魅せる、IPPONグランプリ

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M-1が終わってTHE MANZAIが始まり、どう演出するのか期待されるところだが、大喜利で戦うIPPONグランプリの演出はうまいと思う。M-1の場合は賞金や、芸歴長い確かな芸を持つ審査員による絶対的評価が入ることで、緊張感を創りだすことで漫才へ視聴者は没頭する。キングオブコントの場合は多くの若手芸人の絶対的評価が、数により相対的なものへと変わってしまうから、茶の間目線に近いとも言えるが、厳格な場にはならない。どうしても芸が緩く見える。本気度が低いと感じてしまう。

IPPONグランプリはうまい所をついている。緩急がついている。大喜利といえば笑点だが、あれは毎週行うものであるから、厳格な様式である必要ではない。毎日百貨店で食料品を買わないことと同じで、日常的な空気はレギュラー放送には必要な要素だと思う。

IPPONグランプリはその緩さと締めを数ヶ月単位の特番で見せている。評価をライバルたちに行わせるところは相対的にかつ松本人志という絶対的評価を置いているところは秀逸である。また視聴者の笑いのブレが生じる所をうまくカーバー出来る。松本人志が評価に対し、肯定、否定をどちらだろうと一言付け加えるだけで、視聴者の笑いのつぼの多様性を受け流すことができる。番組を黒と黄色で表現している所も演者を際立たせているので視点が大喜利へ自然と向かいやすい。

こういう演出も松本人志という下の世代の人間には圧倒的カリスマ性を持つ人間だからこそできるわけで、多様性を強要されている世代には見やすい。かつては内村プロデュースでウケないという失敗を堂々と魅せる演出を松本人志で表現するならこういうことかと感じさせられる。

意外に松本人志を芸人として扱うには、少し次元を変えた所に配置させた方が番組としてしっかりする。内村光良のように現場に張り付かせ、場の流動性に瞬時に適応するタイプではない彼の芸風やキャラではないので、周りを活かすには、違う所に配置した方が面白い。ガキの使いの「笑ってはいけない」シリーズも考えれば立ち位置が違う。
松本人志 IPPONグランプリ1_10 投稿者 plutoatom

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